おはようございます。

昨夜、寝たのは2時なのに5時頃に目覚めてしまった。
仕方ないので、Xをザッと眺めてた時に目に入ったポストがこちら


よくあるインプレッションを集めるために刺激的なタイトルをつけた記事を連ポスしてるアレなツイッタラー(今はポスラー?になるの?)である。
でもおすすめによく出てきて現在起こってる事件事故が知れるのでつい見てしまう。

コメント欄を眺める。
このポスト上にある情報は
「0歳児を炎天下の車のなかに置き去り」
「両親の双方、『お互いが連れていると思った』というコメント」
のみ。

まず、想像できるのは
「大人が二人しかいないのに、たった一人の赤ん坊を降ろしてないないことに気付かないのか?」
私の感想も
「??どういう状況?そんなことある?」だ。

案の定、コメント欄は
「何故気付かない?」
「いらない子だったのかな」

暗に、「〇したかったのだろう」と言いたげなコメントが並ぶ。
しかし、途中途中に新たな情報が差し込まれる。
「3歳児と5歳児の子供がいたらしいですね。別々に行動していたのかな?」
「知人と一緒だったらしいです。」

上記の情報は、それぞれ違う人のポストなので
「え、他にも子供がいたの?それとも知人なの?どっち?」
と混乱する。
それに付くコメントも、
「3歳&5歳がいた場合の想定」と「知人がいた場合の想定」に分かれている。

もう一度、ポストされた元記事動画を見る。やはり、冒頭の少ない情報しかない。
じゃあ、他の報道で+@あるのだろうか。
ふと、SNS上の匿名希望さんの無責任な発言を全て信じすぎている、という小さな恐怖を覚える。

グーグルで「0歳児 コストコ 死亡」と打つ。
初めに出てきた記事



冒頭のポストされた記事以上の情報は、ない。次。



やはり同じ情報しかない。(後程記事に追記があるかもしれないが、現状はない)次。
あ、NHKだ。これならもうちょっとあるかな。




私が混乱した情報が全て載っていた。
SNS上にあったものに、ウソはなかった。ただ、「それぞれが細かくちぎられていて、訳が分からなくさせられていた」だけだった。

車の中には、6人いた。
父親、母親、知人女性、3歳児、5歳児、0歳児。

初めに父親と知人女性が先に降りてそれぞれ店内に向かった。
母親は3歳、5歳の子供を降ろし、その際に0歳児の存在に気付かず(父親が連れて行ったと思い込んでいた)そのまま車に鍵をかけた。
各々、別行動をして2時間ほど後に車内に戻り、0歳児が取り残された事に初めて気付いた。


全ての情報が入ると、決して想像し難い状況ではない。
もちろん、0歳児が乗っているのだから最後まで点検しないことは危険である。
両親とも、「向こうが連れている」と思い込んでしまったのも、お互いに責任の放棄がある。
でも、どちらの思考も「想像し難い」ものではない。議論されるべき部分は
「車内に取り残されてないか最後まで注意が必要で、自分の都合の良い思い込みはしない方が良い」
というところだろう。

しかしSNS上では既に
「0歳児の子供が疎ましいと思っているDQN両親に事故に見せかけて〇された」
と思い込んでしまった人が既に大量に発生してしまい、この両親は極悪非道の殺人鬼のような、
本来の罪の数倍重い、重罪人扱いを受けてしまっている。

更に人間は一度発した自分の言葉の修正を嫌う傾向があるので
例え、後程この新たな情報が入ったとしても
「でも結局置き去りにしたのは責任の放棄」
「両親が悪いのには違わない」
となってしまう。
初めからこの情報があれば、決して「人〇し」などという過激な発想は出なかっただろうに。



この現象は、SNS上では非常によく見る。私もよく騙される。
兎角、人はそこにある情報のみで状況を「推理」したがる。
そして「悪者」や「悪意」を作り出し、「正義感」から、「攻撃」をする。
『ググれ』という言葉があるように、今私が数分使って検索しただけで情報は見つかるが、
それをする人は少ない。
目の前に置かれた情報だけですべてを知り、判断した気になってしまう。

結果、冒頭の短い情報だけで判断した、誤った罵詈雑言はネット上に漂ったままである。
これを見てしまった、この我が子を亡くした両親、そして周辺の方々の心境は想像を絶する。


これは結局誰が悪いのか。
情報の少ない記事?(記事も速報で、記者の元にもまだ全情報が入ってなかったのだろう)
罵詈雑言を残した匿名希望?(彼らは目の前の情報を信じ、正義感から言葉を発してしまった)
幼い子供を亡くした両親?(思い込み、ミスをしてしまい結果的に命が奪われたが決してそれを望んだわけでもなく、今深い悲しみの中にいて恐らく自分たちを責め続けているだろう)


これがインターネットなのだと思う。
皆、「ネットの記事のキリトリに騙されるな」と嫌になるほど目にし、分かっていても
こうやって騙されてしまう。
それは全て、嘘ではない。嘘ではないが、情報がただただ少ないだけ。そしてミスリードされていく。
まず記事を目にしたときに、すぐ判断するのではなく「情報が少ないのではないか」と疑い、全容がある程度見えるまでSNSに書き込むのを少し我慢するだけでも、かなり様相は変わると思う。



たまたま、この記事を見かける直前に本を読んでいた。



昨日紹介した品田遊先生の別の本。
その1話目がまさに、今回の記事にまつわるインターネットの有様を雄弁に語っていた。
だからこそ、私は今朝の記事に疑問を持ち、少し調べてみた。

この1話目「猫を持ち上げるな」は、ネット上で「猫を持ち上げた」だけの写真が議論を呼び、「動物虐待だ」と騒ぎたち、世間が大騒ぎするが10日ほどで終息し、しかし巻き込まれた人々の人生は大きく狂った…というショートである。

「猫を持ち上げる」という絶妙に大したことないものを題材にすることにより俯瞰でSNS上の大騒ぎを見ることができるという、秀逸な構成だ。
主人公はSNSで発言しないものの、このネットでの大騒ぎに猫を飼っている自分も巻き込まれたような感情に苛まれる様が非常にリアルで面白い。


恐らく筆者は常に俯瞰で見れる人で、「何故そうしないのだろうか」と疑問に思うのだろう。
しかし、それができない人の方が恐らく割合的に多い。
だからこそ、「SNS上での論争の構造ってこうだよ」と描いたのだろう。

SNSでついつい脊髄反射で発言してしまう人には是非一読して欲しい。